…(過去記事)…。
quote:ホーム・オブ・ジ・アンダードッグズというウェブサイトは,古くは1979年までさかのぼるゲームが4000タイトル以上も収められている。多くのユーザーはここで,ずっと前に好きだったゲームをみつけ出せる。なかには無名の,小規模なゲームを発見できる情報ハブとして使用しているユーザーもいる。だが,ゲームソフトの業界団体は,著作権侵害だとして快く思っていない。
彼はディスプレイに表示されている,ものすごい単純なキャラクタがドアに出入りしているゲーム画面から振り返り,うしろに立っている人物にまだ幼さが残る口調で必死にお願いしていた。どの家庭でもゲーム機は子どもを虜にして,放っておくと朝までやり続けていた。だから,ゲームは1日1時間とか,決められていたものだ。彼は母親とおぼしき人物に涙を流してお願いしていた。もう30歳を過ぎていて,無口でクールな印象の彼からは,想像できないような光景だった。「ぢゃあもう1時間だけよ」と,母親らしき人の声がきこえた。彼は,満面の笑顔をみせて涙をぬぐい,これ以上ない幸せな表情で,またディスプレイに向き直った。
そこは,地方都市のデパートの最上階によくある,ゲームコーナーだった。いまのような大きな筐体のゲームもなく,ほとんどのゲームが50円,または10円や20円で1プレイできた。ボクは父との散歩ついでにここによく連れてきてもらい,数百円をもらってパックマンなどのゲームをしていた。いま,わたしの目の前のディスプレイでも,パクパクとドットを食べるパックマンが動いていた。なぜ父がボクをいつもそこに連れてきてたのか,実は父はそこでいつも店員の女性と会っていた。詳しくはいまも知らないが,いま思うとそういう関係だったのだと思う。一度,その女性はボクがゲームをしていた隣に座って,じっとボクをみていたことがあった。ボクは怖くて,目を合わせられず,ただドットを食べ続けるパックマンだけをみていた。視界の脇にいた女性は,ボクを殺すかのように憎む表情でみつづけていたが,父が来て,女性の手を取って連れていってしまった。ボクはイジケモンスターを食べ回るパックマンをみながら,なぜか涙が止まらなかった。自分が利用されていたからぢゃない,母が気の毒だったわけでもない。ただ,許せない社会のなかにいる自分が,つらかった。パックマンは,いつまでもドットを食べ続けていて,もうおとなになったわたしは,そのパックマンがすべてのドットを食べ尽くすのを,ただ懸命にプレイし続けていた。
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